篠ノ井地域の観光情報 (歴史)
篠ノ井|歴史|観る|食べる|買う|遊ぶ|カフェ|泊まる|最新情報
篠ノ井地域の概要
● 篠ノ井市(しののいし)は長野県の旧更級郡域北東部地区にあった市。最後の市長は、長野県議会議長を務めた柳沢勲(やなぎさわいさお)。更級郡布施村→篠ノ井町時代から交通の要衝であり、国鉄(→JR東日本)の篠ノ井線と信越本線(→篠ノ井以南はしなの鉄道に転換)が分岐し東京方面と名古屋・大阪方面に向う上で重要な地点であったが、現在では長野新幹線が篠ノ井地区を素通りしている。1959年に誕生したが、1966年(昭和41年)10月16日に長野市・更級郡川中島町、更北村、信更村・上水内郡七二会村・埴科郡松代町・上高井郡若穂町と合併(新設合併)し長野市となったためわずか7年で消滅した。現在は長野市篠ノ井地区となっている。
沿革
1872年(明治5年) - 更級郡五明本郷村・瀬原田村・柳沢新田村が合併し布施五明村となる。有旅村が入有旅村と中山新田村を編入する。
1873年(明治6年)2月 - 更級郡山布施村が山村山村と青池村を編入する。
1875年(明治8年) - 更級郡二柳村・御幣川村・横田村・会村が合併し正和村となる。
1876年(明治9年)5月 - 更級郡有旅村の浅野区と桜井区が分村し、前者は氷ノ田村(のち信田村→信更村、現・長野市)、後者は山平林村(のち更府村→信更村、現・長野市)となる。同年6月、小森村の飛地が本鹿谷村(のち信級村、現・上水内郡信州新町)に編入される。
1879年(明治12年) - 更級郡制施行により布施五明村・布施高田村・中沢村・石川村・岡田村・小松原村・東福寺村・小森村・山布施村・有旅村・塩崎村が発足する。
1881年(明治14年)3月12日 - 更級郡中沢村が、二柳村・御幣川村・横田村・会村に分立する。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、下記の村が発足する。
更級郡布施五明村・布施高田村が合併し、布施村が発足する。
更級郡御幣川村が横田村と会村を編入し、御幣川村が発足する。
更級郡二柳村・石川村が合併し、川柳村が発足する。
更級郡岡田村が小松原村を編入し、岡田村が発足する。
更級郡東福寺村が小森村を編入し、東福寺村が発足する。
更級郡山布施村・有旅村が合併し、信里村が発足する。
更級郡塩崎村が合併を伴わずに発足する。
1890年(明治23年)5月17日 - 更級郡岡田村が共和村に村名を改称する。同年5月24日、御幣川村が栄村に村名を改称する。
1914年(大正3年)4月1日 - 更級郡布施村が栄村を編入する。同年4月21日、布施村が町制を施行、同時に改称し更級郡篠ノ井町となる。
1950年(昭和25年)7月1日 - 更級郡篠ノ井町が川柳村と東福寺村を編入する。
1951年(昭和26年)10月1日 - 旧東福寺村のうち道島・筏道下区が分離し埴科郡松代町(現・長野市)に編入される。
1954年(昭和29年)7月1日 - 更級郡篠ノ井町が共和村を編入する。
1957年(昭和32年)4月1日 - 旧共和村のうち小松原地籍の一部が分離し更級郡川中島町(現・長野市)に編入される。同年8月1日、篠ノ井町が埴科郡松代町の旧更級郡西寺尾村の大字西寺尾を編入する。
1959年(昭和34年)5月1日 - 更級郡篠ノ井町が塩崎村を編入、市制を施行し、篠ノ井市となる。(長野県では16番目)
1966年(昭和41年)10月16日 - 8市町村の合併(新設合併)により新たに長野市となり消滅した。
情報募集中
● 現在、信州・長野市の観光情報を発信するWebサイト(ホームページ)を制作しています。信州の北に位置する長野市は、東京からは2時間程度、大阪や名古屋からも3〜4時間ほどで訪れることができる場所です。
さわやかな風が吹き抜ける高原で、家族水入らずでキャンプを楽しんだり、のんびり温泉に浸かるのはいかがでしょう。
忙しい大都会の生活から抜け出して、信州・長野市へリフレッシュしにいらっしゃいませんか!
● 只今、「長野観光情報 - ようこそ 信州 ながのへ -」では、地元や高原で食事が出来る、レストランやカフェの情報を募集しております。また、旅の思い出に、長野市でしか買えないグッズを扱っているお土産やさんも募集しております。オススメのお店がありましたら、ぜひ、ご連絡をお願いします。
● 自薦・他薦を問いません。「お客様へオススメのお料理があるんですけど・・・とか、新しいお店がオープンしました!」などの情報も大歓迎です。旅行者のみなさまへの情報提供と、地元のみなさまの商売繁盛のために、「長野観光情報 -
ようこそ 信州 ながのへ -」Webサイトをご利用ください。時間の許す限り、取材におうかがいいたします。スタッフ一同、お待ちしております。
|