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国際通り (歴史)

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国際通りの歴史

 国際通りは、戦前、旧那覇市中心部と首里市を最短距離で結ぶ県道として整備された新県道(牧志街道)でしたが、郊外の一本道で、人家は少なく畑や湿地帯が広がっていました。

 終戦後は、米軍によって従前の那覇の中心地(現在の那覇市西・久米・辻付近)が接収されてしまい、人々は行き場を失ってしまいました。そこで、まず、壺屋地区の窯業業者たちが産業復興を名目として入市。続いて牧志地区の瓦職人たちも入市が認められました。そして、ほかの人々もみな窯業関係者や職人の親戚縁者を名乗って市内に入り始め、壷屋から牧志にかけてのガーブ川周辺や新県道近くに居ついて自然発生的に闇市が広がりました。

 1948年(昭和23年)には、米軍の物資集積所があった新県道沿いの土地に「アーニー・パイル国際劇場」という映画館が開館ました。国際通りは、1953年から1954年にかけて改修工事が行われ、その後、多くの店が立ち並び、発展してきました。国際通りの名称は、当時は、映画や沖縄芝居が盛ん上映・上演され、その時代に流行していた映画館「国際劇場」がその由来といわれています。また、一大繁華街へと変ぼうを遂げたことから、国際通りの約1.6kmをマイルに換算(1マイル=1.60934km)し、「奇跡の1マイル」とも呼ばれました。

 国際通りは、デパートなどの大店舗が集まる繁華街となりましたが、地域の繁華街としての役割は次第に周辺部へ移行し、大型ショッピングセンターは駐車場を確保できる郊外に、生活に密着した店舗はその裏通りにある平和通りやその周辺へと移っていきました。

 国際通りは、その名が有名になるにつれ、観光客が増え、観光客向けの店舗が増加。那覇新都心など周辺地域の開発もあり、現在では沿線事業者の大部分は土産物店や有名飲食店、ホテルなどであり、ほとんどが観光客向けの通りとなっています。

 

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